こんにちは、akoです。
今回はセネカの『怒りについて 二篇』を読みました。
内容は、
・摂理について
・賢者の恒心について
・怒りについて
とても実践的で、生きる上でとても役に立つ本だと思いました。
『摂理について』『賢者の恒心について』
はじめの『摂理について』では、善は唯一人間精神のみに存在するので、外部要因によって善悪が左右されることはない、といったことが書かれています。
とてもストア哲学っぽくて、わかりやすいです。
次の『賢者の恒心について』では、とくに、相手が病気や災害といったものではなく人間であって、不正にこちらを侮辱してきたりする場合について述べられています。
ここでも、やはり、こちらの受け方次第ということになっていて、
侮辱の成否は受け手側の認識と憤慨にかかっている。
侮辱としてそのまま受け止めて憤慨してしまったら、相手の侮辱は成功したということですよね。
そうならないよう、実際行動するのは相当難しいと思いますが、考え方は理解できるかなと思いました。
でも、それもその侮辱のレベルによるような気もします。
到底耐えられないような侮辱(たとえば、大切な人が傷つけられたとか)を受けた場合は、どうすればいいのか?に対して答えを探しましたが、みつけられませんでした(泣)。
個人的に、こういうふうにでも考えて、自分を納得させるしかないのかと思えた箇所は、次の言葉くらいでした。
たとえわれわれが人のよさから復讐を控えても、やがて誰か、でしゃばりで高慢で不正な輩に罰を加える者が出てくるだろう。彼らの過ちは、決して一人の人間で、一回の侮辱で尽きはしないのだから。
いつか他の人から痛い目に合わされるよ・・・ってことですね。。。
『怒りについて』
最後の『怒りについて』は、自分の怒りに対してどう対処していくか、というとても実践的なことが書かれています。
貼った付箋の数も多く、即実践できそうな内容ばかりです。
しかし、この作品は、悪例としてカリグラの常軌を逸した非道な行動が次から次にでてきます。
カリグラは、第3代皇帝で、暴君ネロの2つ前の皇帝です。
世界史の教科書では「暴君ネロ」は習ったけど、このカリグラは、この作品で読む限り、暴君とかいう生易しいものではなく、かなり狂気にみちた人です。
その犠牲になった人たちの悲話がたくさん挙げられていて、それがあまりにもひどいので、すこし飛ばし読みをしてしまいました。
まともな人間が、善悪についてとか、怒りについてとか、色々学んでも、目の前にこんな狂った権力者が現れてしまっては、もうどうしようもないではないかといいたくなります。
加えて、この時代のたくさんのひどい話がでてくるので、なんとなくローマ時代が好きではなくなりました^^;
ローマ皇帝って聞くとカッコいい気がしていましたが、カリグラといい、ネロといい、どうしようもない人がでてくる確率とその狂人度合が高すぎるのでは・・・
こんな皇帝2人と同時代を生きたセネカは、さぞやりきれなかったことでしょう。。。
まとめ
昔も今も、人は同じようなことを考えて、悩んでいたんだなと思える本でした。
そして、2000年近くも昔に、怒りという感情について、人間はすでに分析もしていたのだなと感心させられます。
現代でも、全然役に立つ内容だと思います。
また、当時の社会描写については、現代では理解できないことがたくさんでてくるのですが(主に残酷なこと)、その意味では、この2000年の間に社会は進歩したといっていいのかなと思いました。