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哲学 紀元前~

エピクテトス『語録 要録 』(中公クラシックス) 感想。

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エピクテトス語録

こんにちは、akoです。

今回は、『エピクテトス 語録 要録』(中公クラシックス)を読みました。

語録や要録は、エピクテトスが書いたものではありません。

アリアノスという人が、若い頃にエピクテトスの学校で学んだことがあり、師の言行を書き記したものです。

『語録』は対話形式で、ちょっと冗長な感じになっています。

『要録』は、簡潔にまとめられているので、わかりやすいです。

エピクテトスの思想ハンドブック的なものなのだそうです。

『要録』はわかりやすいので、キリスト教徒はじめ多くの人々に読まれたようです。

この本は、最初に「エピクテトスーストイックに生きるために」という章があります。

この章でもストア哲学がよくわかるのですが、ストア哲学がよく受けていると思われる誤解がいくつか挙げられていて、その点を意識して「語録」「要録」を読むとほんとに誤解だなということがわかって面白いです。

ストア哲学に対する誤解

人生においては人は幾度も大きな波に遭遇し、悲惨な出来事を経験することが多いけれども、はじめから人生に絶望しておけば、どんなに悲しいことでも耐えることができるわけだ。(中略)しかし実は、こうした見方はストア学派の思想を誤解したものでしかないのである。

エピクテトスーストイックに生きるために

自分の力ではどうすることもできないような境遇や運命に置かれたとき、エピクテトスが主張するのは、ただひたすら耐えるしかないという忍従の哲学ではなく、むしろいかなる逆境にも動じない、不退転の強さなのである。

エピクテトスーストイックに生きるために

ストア哲学は、自分の権内にあることと、権内にはないことを区別します。

そして、神たちの力、宇宙の理法の存在を認めています。

神たちに感謝の気持ちがあるといったほうがいいかもしれません。

自分がどうこうできるのは自分の意志だけで、自分の肉体さえも自分のものではなく権内にはない。

生まれつき病弱であったとしても、そのことを嘆くことは自然なことではないし、自分の肉体も、その時期がくれば神にお返しをする、という考えです。

神や宇宙の法則に畏敬の気持ちがあるからこそ、このような考えになるのかなと思いました。

そうでなければ、人間はたやすく欲のかたまりになってしまいそうです。(というか今はそういう社会ですね^^;)

明日からはちゃんとしよう。はそうならない!

とてもドキッとさせられたので、絶対忘れないように書いておきます。^^

きみがちょっと注意を怠るとき、いつでも好きなときにそれを取り返せるだろうなんて考えぬがいい。むしろきょうの過失によって、必然他のことも、きみの事柄は悪くなるということを、覚悟するがいい。というのは、まず不注意というもっとも悪い習慣が生じ、つぎに注意を延期するという習慣が生じるからだ。また、きみはつねに、ゆとりのあること、行儀のいいこと、自然にかなった状態や生活を、つぎからつぎへと、延期するように習慣づけるからだ。

善い人になると決めていたのに、今日ぐらいいいかと善くない行いをしてしまう。

他のことも悪くなるし、悪いことが習慣になる・・・

なんだか毎日毎日が試練のような気がしてきました^^;

常に注意をして善く生きられるようになった人は、とても素敵ですね。

マルクス・アウレリウスのように、日々自分自身をチェックする時間を持つのがいいのかもしれません。

まとめ

『要録』は、短くまとまっているので、ときどき読み直すのにいいと思います。

『語録』は、長めなので、ゆっくりコーヒーでも飲みながらまた読みたいです。

エピクテトス自身が書いたものではないので、マルクス・アウレリウスの『自省録』のような熱い感情はあまり伝わってこないのですが、考えはよくわかる本です。

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