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『キリストにならいて』 (岩波文庫)を読んだ感想。

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キリストにならいて

こんにちは、akoです。

『キリストにならいて』 (岩波文庫) トマス・ア・ケンピス (著)を読みました。

1441年頃、ドイツ人修道士トマス・ア・ケンピスによって、修道士たちの精神生活の完成を目的に書かれたものです。

修道士のみならず、一般のキリスト教徒の方にもよく読まれているそうです。

全体を通して、とにかく世間的なことに関わるな、苦難に耐え続けよ、神に仕えよ、ということが書かれています。

もともと修道士向けに書かれたものだからなのか、徹底的に俗世間のことを軽視している点に驚きました。

 

古い時代に書かれた、修道士の方向けの著書なので受け入れにくい箇所もありますが、ためになることもたくさんありました。

俗世間のことだけに重きをおいて生きることは、不安定なことなんだなと思わされます。

いろいろ考えさせてくれる本です。

よくわからなかった点があったので、いくつか挙げてみます。

 

 

人間が、とにかくつまらないものとして描かれている

「私はあなたの、この上なく貧しい召使、卑しい虫けらです。」

「見下げはてたものなのです」

「私が全くとるに足らぬもの」

「塵であり、無であるお前が、」

これまで聖書を少しとはいえ読んでみて、これほどまでに人間が、無価値なものとして描かれていたかなぁと不思議に思いました。

『創世記』を読み返してみたら、たしかに、アブラハムが自身を塵や灰にすぎないと表現している箇所はあったのですが、この本では、キリスト、信者両者が、人間など無価値でどうしようもない、ということを何度も述べているのが印象的でした。

 

キリストは神

人間が塵に過ぎないのに対して、信者がキリストを非常に賛美している姿も印象的でした。

これまで、キリストというのは、その苦難に満ちた生涯を思い、見習う対象かと勘違いしていたのですが、違ったようです。

すでに神なのですね。

キリストの言葉で、

無から万物を創りいだした私が、」

という表現をみたときは、驚いてしまいました。

キリストは預言者とばかり思っていたので(恥)。

神の子という表現も見たことはあるけど、万物を創ったのは別の神だと思っていました。

でも、細かいことを色々いうつもりは全然ありません。

ただ、これまで自分が読んだ中で、それを読み取れなかったのがちょっとショックでした^^;

 

この世は無価値。耐え忍ぶだけ。

「あらゆる世間的な物事を見下し、あらゆる頼りない喜びを捨離することに、お前の祝福があり・・・」

「自己を否定し消し去る」

「自分自身を蔑むことを喜びとし、私(キリスト)一人だけの気に入ること、私だけの栄光を喜びとするよう。」

修道士向けだからだと思いたいのですが、徹底的に俗世間が否定されています。

ここまで徹底的だと、この世で幸せになるとか、この世で目的達成して喜ぶなど、そんなかりそめの物には価値なし、ということになります。

すべては、最後の審判で永遠の生命を授かるため。この世の苦難は喜んで受け入れるといった感じです。

この本にでてくるこの概念だけは、一歩引いて受け止めるしかないなと思いました。

そうでないと、世捨て人になるか、修道院に入るしかなくなります・・・

最初にも書きましたが、この本にはいい言葉もたくさんありました。

それも俗世間のことに執着するな、煩うなといった戒めの言葉が多かったです。

でも、この世のことは全く無価値、とまで考えると、生きる気力がなくなるので(泣)、いいとこどりで、いいように受け止めたいと思います。

 

まとめ

大病をしたり、つらい事があった時、信仰心がある人は強い、と聞いたことがあります。

この本を読んで、なんとなくその意味がわかるような気がしました。

私はこの作者のような生き方はできないけど、考えさせられたことも色々あり、読んでよかったです。

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